朝日新聞柏支局長のコラム
震災から14年
「男性の連絡先は分からない。津波でメモが流された」。旭市は2011年3月の東日本大震災で津波に遭い、死者行方不明者が16人に上った。成田支局員だった私は駆け付けた。その時に取材した男性は今どうしているのか。取材の必要があって知人に問い合わせたところ、返答がきた。
男性は当時70代半ば。避難していた高台から津波が押し寄せる様子を克明に写真に収めていた。写真を借りて社会面の記事を書いていた。だが私のメモに連絡先は残っていなかった。
旭市では、津波にのまれ助かった母子や夫を失った女性らも取材した。原発事故後は、支局がある空港に外国人が押し寄せ、足早に搭乗口に向かう人に話を聞いた。福島県へ応援にも入った。その後、東北に転勤したこともあり、目に浮かぶ旭市の風景は押し流された家やブロック塀ばかり。
知人は、当時から被災体験を後世に伝える活動をしている。電話は震災以来。最後、みなさん、お元気ですか、とたずねると「一度、遊びに来なさい」と言ってくれた。
誘いの言葉には「津波被害を忘れないで欲しい」「今の旭市を見て欲しい」と思いがこもっているように聞こえた。この春、旭市を訪れて、かつて取材した地域を再び歩きたいと思う。
朝日新聞柏支局長 斎藤茂洋