「暗夜行路」草稿、展示始まる 我孫子・白樺文学館 市内で発見「空白期埋める資料」

我孫子で見つかった「暗夜行路」の草稿の一部=我孫子市

 我孫子市で新たに発見された、作家志賀直哉(1883~1971)の代表作「暗夜行路」の草稿を紹介する「『暗夜行路』の軌跡」展が、同市白樺文学館で10月31日から始まった。草稿からは志賀が推敲を重ねる様子がよく分かり、また書かれた時期が志賀の日記が残っていない時期だったことから、専門家は「(志賀の)空白期を埋める貴重な資料」と指摘している。
 我孫子で見つかった草稿は、縦20センチ、横14・5センチの市販ノートに書かれていた。49ページにわたって鉛筆で記されており、「暗夜行路」後編で、主人公が京都で新婚生活を送っている時の内容と重なっている。ノートに罫線はなく、一度文章を書いた後に棒線で消したり、塗りつぶしたりした跡があり、漢字を確認するように文章の上に大きく書き直してみたようなページもある。文学に向き合う志賀の息遣いを感じることができる。
 草稿には、主人公と妻が友人と花札遊びをしたり、主人公が祇園から帰るのが遅くなり妻が心配したりする様子が書かれている。草稿と完成稿では、物語の展開は大筋では一致しているが、主人公の名前が違うほか、草稿の方は主人公より妻の方により重点が置かれているという。
 草稿が書かれたのは、1915(大正4)年夏までと推定されている。志賀はその年の秋に我孫子へ移住し、23年まで暮らしているが、草稿の後ろには、群馬・赤城山から我孫子へ転居する前の手紙の下書きなどがあった。また志賀が結婚したのは14年暮れで、新婚生活は京都で過ごしていた。
 志賀直哉を研究する同志社女子大の生井知子教授は、図録に寄せた文章のなかで、草稿執筆前後の14~16年は「直哉の人生観が大きく変化しつつあった時期であるため大変重要だが、詳細不明な時期」で、新婚時代の志賀夫婦の様子もほとんどわかっていないと指摘。この草稿は「空白期を埋める貴重な資料」と位置付ける。そのうえで、完成稿には載っていない主人公の妻の心情描写などから「これまで考えらえていた以上に直哉の精神史において康子夫人の存在が重要であったことを思わせる」と分析する。

草稿を贈られた小熊太郎吉とは

 今回の展示では、志賀の草稿ノートを巡る解説のほか、このノートを志賀から贈られた小熊太郎吉についても、丁寧に紹介している。ノートは志賀が我孫子を去る時に、小熊に譲られたとみられている。小熊の子孫が昨年、資料整理するなかで「志賀直哉氏ノ小説原稿ノ下書」と書かれたノートを見つけ、文学館へ相談。生井教授が鑑定し、本物であることが分かり、今年5月に市が「発見」を発表した。
 小熊は当時、我孫子駅前で剥製や提灯を作っており、志賀ら我孫子在住の白樺派の人たちとも交流があった。小学校の校長を務めた経歴もあり、手書きの雑誌を作るなど、文化活動にも取り組み、志賀が我孫子を去る時には町議会議員にもなっていた。展示では、小熊の手書きの雑誌や標本なども展示し、その幅広い活動ぶりと、白樺派とのつながりを伝えている。

12月14日にアビスタで講演会

 「『暗夜行路』の軌跡」展は来年3月1日まで。月曜、年末年始休館、入館料一般300円、高校・大学生200円、中学生以下無料。12月14日午後1時半からは、生井教授の講演会が我孫子市生涯学習センター「アビスタ」1階ホールで開かれる。無料。申し込みは11月20日午前9時から電話(04・7185・2192)で同館へ。先着100人。

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