
利根川と江戸川。二つの大河に挟まれた千葉県最北端の関宿(野田市)は古くから交通の要所であり、江戸時代は関宿藩の城下町として栄えた。そんな関宿の歴史を多くの人に知ってもらおうと、県立関宿城博物館は歴史講座やセミナー、学芸員による展示解説会などを開いている。4月16日に開催された体験教室「関宿城下を歩こう(城下町コース)」に同行した。
関宿城は室町時代の1457年、簗田氏によって築かれたと伝わる。戦国時代の武将、北条氏康が「この城を手に入れるのは一国を得ると同じ」と記したように、経済面でも軍事面でも重要な城だった。
徳川家康の異父弟、松平康元を初代藩主とする関宿藩は代々、譜代大名が藩主を務めた。江戸城の富士見櫓を模して再建された立派な「御三階櫓」が幕末まであったが、明治になって取り壊された。
現在は城下町の名残は少ない。同館の尾﨑晃・上席研究員は「観光地の城下町のイメージとは程遠い」としながらも、「歴史が好きな人には興味深い城。玄人好みの城下町です」。
江戸後期の古絵図などが載ったパンフレットを手に同館を出発。尾﨑さんの案内で関宿藩にゆかりのある史跡をめぐる。
最初の見学地は「関宿城本丸跡」。本丸の5分の4は、明治以降に繰り返された河川改修で堤防の下に埋もれてしまっている。田んぼに張り出した小さな土手が残るだけ。石碑がなければ通り過ぎてしまう人も多いだろう。
敵が直線的に攻めてくることを防ぐためにつくられた「筋違いの十字路」、城を囲んでいた「外堀・土塁跡」を見たあと、江戸川の堤防にのぼって「関宿関所と棒出し」の説明に耳を傾ける。江戸の洪水を防ぐ目的で両岸から突き出した一対の堤防を築き、江戸川に流れ込む水量を調節したのが「棒出し」だ。対岸の埼玉県幸手市側に関所が置かれ、関宿藩士が通行人や荷物改めにあたったという。
江戸末期の治水家、船橋随庵が城内から各村の水田に水を引き込むために開削した「随庵堀」は、いまも現役だ。用水路として利用されている。
約2時間の体験教室のゴールは昌福寺。829年に創建され、簗田氏が関宿城を築いたときに、現在の茨城県古河市にあったものを移築したという古刹だ。
群馬県高崎市から参加した悴田忍さん(50)と朝生健一さん(50)は歴史が好きで、誘い合って城めぐりなどを楽しむ間柄。「関東・上信越の有名な城はほとんど見てきた」(朝生さん)そうだ。
これまでに何度も同館を訪れている2人だが、体験教室に参加したのは初めてという。「聞かなければわからない話ばかりで楽しかった」と悴田さん。「江戸時代の遺構が残っていたら、もっとよかった」
悴田さんの指摘も踏まえて、尾﨑さんは言う。「歴史は実験ができない学問。文献や史料から想像するしかありません。現地に足を運び、多くの人とイメージを共有することが大事だと思っています」
同館が体験教室「関宿城下を歩こう」を始めたのは20年ほど前。従来の「城下町コース」「河川コース」に加え、この秋に「河岸コース」を新設する。