
作家、志賀直哉(1883~1971)の代表作「暗夜行路」の草稿の一部が、我孫子市内で新たに見つかり、白樺文学館で10月末から公開されている。草稿を志賀が渡した相手は、小熊太郎吉。我孫子で剥製屋を営むかたわら、自ら手書きの雑誌を発行、自然科学にも通じた教養人だった。太郎吉と志賀。その縁とは。
小熊吉明さん(48)は昨春、亡くなった叔父、興爾さんの遺品を整理していた。家の一室に、古い本や標本が山積みになっていた。興爾さんの祖父、太郎吉が残したものだった。一冊のノートが目に留まった。表紙に 「志賀直哉氏ノ小説原稿ノ下書」とあった。「まさかね」。疑いながら白樺文学館に持ち込んだ。秋に連絡が届いた。本物だった。
太郎吉は1874(明治7)年生まれ。小学校の教員になり、若くして校長を退職後、我孫子駅前で店を構え、剥製や提灯などを作っていた。暗夜行路の草稿と一緒に手書きの雑誌なども見つかり、我孫子で暮らした文人、柳宗悦や杉村楚人冠らとの交流の足跡も浮き彫りになった。
自然科学にも明るく、冬虫夏草の一種「セミタケ」、キノコ類の「オニフスベ」を布佐地区で見つけ、現在の国立科学博物館からも注目されたという。晩年は我孫子町議となり、人材育成のため教育に予算を充てるよう訴えていた。
白樺文学館の学芸員、稲村隆さんは「太郎吉はこれまであまり注目されてこなかったが、大変な教養人。草稿を渡すくらいなので、志賀もかなり評価していたのではないか」とみる。
当時の太郎吉の店は、我孫子駅から志賀邸へ向かう途中にあった。太郎吉の孫、藤掛豊子さん(82)は「店はガラス戸なので、志賀さんが中をのぞいたり、祖父が中から声を掛けたりと、交流があったのかもしれない」。志賀の孫、山田裕さん(74)は「志賀ら白樺派の文人たちは、単に別荘地として我孫子で暮らしただけでなく、地域の人たちと交流があったことが分かり、うれしい」と、2人のつながりを喜んでいた。
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「暗夜行路」の草稿や小熊太郎吉を紹介する特別展「『暗夜行路』の軌跡」が、白樺文学館で3月1日まで開催中。月曜休館。問い合わせは同館(04・7185・2192)。





